終わりがない

ちらかって片付かない日々。車、バイク、カメラ、自転車、ギター、ガレージ、旅、その他。

人の踏み台になる

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25年近くも経営者をやっていれば、さんざん人も踏み台にしてきた。はっきりとその意識がある場合もあれば、無意識にそうしてしまっていることもあると思う。なにせ、生き残るだけならまだしも、生き抜いていかなければならないから。

「人を踏み台にする」・・なんて酷い話だと思うだろう。しかし大なり小なり生きている限り誰しもがやること。もしそれを自分がやっていないと否定したり、他人のそれを目の当たりにしたときにあからさまに否定するなんてことは、なんと幼いことか。その事実を知るからこそ「生きることの痛み」という感覚が芽生えてくる。

話変わって、一つのキャリアを長い間続けていると「3回同じことを経験する」という不思議な現象を味わうように思う。まあ、失敗にまつわる話。

「大事なことがわかっていなかった」と想像がつくような、そんな悔いが残るような失敗をやってしまう。そのときと笑ってしまうほどに似たシチュエーションが2回目にやってきて、1回目の悔いを晴らすべく1回目と同じアプローチで取り組む。しかし大失敗とはいかずとも、やはり成功とまではいかない結果となる。そして1回目にうすうす感じた「大事なことがわかっていなかった」その事を痛感する。そして3回目がやってくる。流石に自分に誰からしらが何かを学べとくれた機会だと考え、なんとかケリがつく、というもの。

この「3回同じ事を経験する」という現象も不思議だが、この経験を通り過ぎると、今度は自分に何かしら似た人が、周りに雨後の竹の子のように現れるという現象に遭遇する。

そしてここで、件の人を踏み台にするという話に戻ろう。さんざんっぱら踏み台にしてきた自分が、今度は踏み台にならなければ、と、まあ否応なく考えるようになる。宗教類いの話でよく耳にするのは、生きることの痛みを知り、犠牲を払うことで幸せに導かれる的なこと。まあ外れてもいないし、それはそうなのだろう。しかし、大事なことが抜けてるなと感じる。

それ相応に、周りの人が考えられるようになると言うことは、自分なりの土台というものができるということ。その土台の上で「人が何をするのかな?」と。

これって結局、自己満足な話で。どこまでいっても人間自己満足なんだなあと。さて、これからどれぐらい生きられるのかわからないのだが、いくつの門が待ち構えているのか。またどんな世界が待ってるんだろうか。

とある方が、「70代でハナタレ小僧」と言っていたが、なんとなくそれが響いてきた今日この頃。

ちなみにオレは45歳。ペーペーやな・・・。。

写真における目線の違い

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・・・なんてタイトルを書くと、高尚な話を思い浮かべました?

自分の身長は183cm。身長の違いは明確に物の形やアングルが違って見えて、特に電車のような狭い空間での撮影にその違いがわかりやすく現れる。身長差が20cm以上あれば、もう別世界といっていいかもしれない。

写真のデキを言い表すのに、半ば観念的に「目線」なんて言葉で片付けられることが多いと思う。しかし、単純に座ってみたり、背伸びしてみたり、高いところから覗き込んでみたりすることで、同じものを見ても違って見えるわけで、しのごの考えずにまずそれを貪欲に試してみるというのも面白い。

電車の中で写真を撮るのは結構好き。なんだか年々おっかなびっくり撮らなきゃならないようになってきてるのだが。

 

古い車の魅力

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うちにはインジェクションを搭載した車が2台、あとは全部キャブレター車という高齢化が著しいラインアップなのだが、特に旧車マニアというわけではない。4つタイヤがある乗り物は総じて好きだ。しかしなんで旧車ばかりになってしまったのだろう。

車の歴史は、如何に乗員にストレスをかけないか、その技術革新の歴史だと思う。その結果、どうしたって重量と大きさは増していく。乗り手の楽さは、車にとってはすべて負担に。

コンピュータが一つも搭載されていない車に乗ると軽快きわまりない。そりゃそうだ、何もついてないもの。。写真の911なんて、室内にエアの吹き出し口すらない。走れば遮音材らしきものも殆どないため、まあとにかく喧しい。一度東京から大阪まで遠征した際には、ホテルのベッドの上で聞こえるはずの無い走行音が耳にこだましてなかなか寝付けなかった。

この911に乗った後に、足車に乗り換えるとその快適さたるや! ほっとする(笑)

古い車の魅力をあげるなら、自分の場合以下のような感じ。

  • 衝突安全基準なんてものからかけ離れてるからこそ実現できるスタイルの美しさ
  • 911なんて水すら入ってない空冷エンジンで、部品が払拭して直せないということがない。無い部品は作れるという安心感。
  • 飛ばそうという気になれない。したがって走らせれば嫋やかな気分に。
  • 今と違って人の手による部分が多く、物としての魅力にあふれる。
  • プリミティブな故にブラックボックスがなく、車をわかっていられる安心感。

といったところ。

写真の911なんて、年代を考えれば驚くほどによく走る。きちんとメンテさえしてれば、ウィークポイントらしきものもさしてないから感心する。おもしろいのが、こんな50年前の車を走らせてみると、新しい車とそうさして変わりがないのだ。まあ4つタイヤがあるのは一緒だし。

そう考えると・・・「本当に作りたい車を作る」。そこだけに目的を絞った車が出てきてもよいと思うのだが、物を作る側からすると、そうもいかないのかな。

35mmの縦位置

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人によって好きなアスペクト比はそれぞれだろうと思う。自分は、8X10(4X5)や、6×7、デジカメの4×3という、少々中途半端なアスペクト比が好き。画面全体を使い切るのが難しいのだけど、だからこそ面白い。

もっとも苦手なのが35mmの3×2の縦位置。中途半端なアスペクト比に慣れてると、どうにも縦に長い!昔は好きだったのだが。

ん〜美しい。ナローはどの角度から眺めても美しい車だ(なんのこっちゃ)

点で見る?面で見る?

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写真を撮るのに、点で見る?面で見る?

面白い質問だなと。撮るときにそんなことを考えてるわけではないが、そのどちらでもあるし、どちらでもないか。

ただハッキリしてるのは、建物でもなければ、花でもない、人でもない、光でもない。それらの間(?)にある空気とでも言おうか、、、

見た光景と自分の間にあるものを写したいし、シャッターを切った瞬間に写る人の機微ならその前後を写したいし、1コマ1コマの間があるなら、その間そのものがなんとか写らないかなと思う。わりと真剣に(笑)

要は「アニマ」みたいなものを写したい。

小難しいことはさておいて、自分がいいな、と感じたことを、そのままそっくり持ち帰りたいのだが、なかなかそうは行かないからこそ写真は面白い。また、自分の予想外によかったりするカットが出てきたりするあたりも。どちらかというと、この後者に出会いたいから撮ってるようなもんだ。自分の美意識を超えたところ。